昨日、3月13日に国立西洋美術館にて開催されているルーブル美術館展へ行ってきました。ルーブルが日本に来る!と知ってから非常に楽しみにしていました。期待たっぷりに会場へ足を踏み入れて、もう…もう…涙目。感動したー。予習なしで行きましたが、我が母校の高度?な芸術教育のおかげで、画家名絵画名はある程度把握できていたので助かりました。本物ってすげー!!当たり前ですが教科書で見るのと全然違う。非常に感銘を受けました。しかし、にわか美術ファンではやはり背景知識の乏しさに苦しめられますね。予習なしに後悔。。ということで、ここで感想を含め、作品背景、時代背景をまとめたいと思います。********************** オランダ、スペイン、フランスなどの美術史を通じて「黄金の世紀」と呼ばれる17世紀ヨーロッパは、レンブラント、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、プッサン、ラ・トゥールといった、綺羅星のごとき画家を数多く輩出しました。本展ではこれらの画家の作品をはじめ、ルーブル美術館が誇る17世紀絵画の傑作の数々を展示いたします。まさに「これぞルーブル」、「これぞヨーロッパ絵画の王道」といえる作品群です。 17世紀はまた、貧困や飢餓といった影の部分、大航海時代、科学革命と富裕な市民階級の台頭、かつてないほどの高まりをみせた聖人信仰など実に多様な側面をもっています。それらは画家たちの傑出した才能と結びつき、数々の名作を生みました。本展は17世紀の絵画を通じて、様々な顔をもつこの時代のヨーロッパの姿を浮かび上らせようという意欲的な試みでもあります。しかも、フェルメールの《レースを編む女》をはじめ出品される71点のうち、およそ60点が日本初公開。さらに30点あまりは初めてルーブル美術館を出る名品です。 「ルーブル美術館展公式サイト ごあいさつ より」17世紀ヨーロッパ美術とは? 17世紀の美術はしばしばバロック美術と呼ばれる。「バロック」の語源については「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語、など諸説があるが、いずれにせよ、この語は「規範からの逸脱」を表す形容詞として、18世紀末の古典主義の芸術理論家により、否定的な意味で17世紀の美術、ことに建築に適用された。現在では「バロック」は価値判断から独立した様式概念となっているがかりか、ほぼ17世紀全体を指す時代概念としても使われる。しかし、17世紀の美術全体をバロック様式として括ることには異論も多い。オランダ絵画の醒めた写実性は、バロック様式の特徴とされる誇張や劇的効果の追求とは無縁なものであるし、17世紀後半のフランス美術は、ルネサンスに由来する規範から逸脱するどころか、この規範をいっそう厳格に守ろうとする古典主義の立場を取っていた。それゆえ、劇的で奔放な狭義の「バロック」は、17世紀美術の諸傾向の一つとして見做されるべきであろう。 とはいえ、この時代の美術全体に多少とも共通する特徴は明らかに存在する。17世紀の美術は基本的には盛期ルネサンス美術の伝統を受け継いでいた。ただ、現実への関心は様式・主題の画面でさらに強まっており、宗教画や神話画がより現実的な表現をとるようになったばかりでなく、風俗画・風景画・静物画などの現実に密着した画種が独立する。また、仰観的遠近法による天井画の発達に典型的に見られるように、芸術作品と観者の存在する現実世界との境界を取り払うことも目指される。光の効果に対する関心もこの時代の特色で、光は現実的に表現された宗教画を聖化する一方で、風景画に真昼や夕刻といった時間的要素を導入している。総じて17世紀の美術は、ルネサンス美術とは異なり、永遠の相のもとにではなく、移ろいゆく相のもとに世界を捉えようとするのである。 なお、世紀前半には依然としてイタリア、ことにローマが西欧美術の中心であったが、その他の国々もイタリアと関わりながら、それぞれの独自性を発揮して百花繚乱の観を呈する。さらに17世紀から18世紀初頭にかけてのルイⅩⅣ世の治世には、フランスが政治面だけでなく文化面でも自他ともに認めるヨーロッパの中心となった。 「増補新装[カラー版] 西洋美術史 より」Ⅰ. 「黄金の世紀」とその陰の領域
No.1 ニコラ・プッサン[1594-1665] 川から救われるモーセ 1638年
古代ギリシアの彫像のような堂々として端正な横顔を持つエジプトの王ファラオの娘とその侍女。彼女たちの指が示す先には、川から救い上げられたばかりの幼 児モーセが篭の中に見出される。遠景のピラミッドと、背中を見せて横たわる川の神の擬人像は、エジプトのナイル河畔が舞台であることを示している。イスラ エル人の増加を嫌って、男児を殺害するという王ファラオの命から逃れるべく、モーセの母は、子をパピルスで編んだ篭に入れて川岸の葦の中に隠したが、今王 女によって見出され、モーセは以後彼女に育てられることになる。旧約聖書「出エジプト記」に記されたこの場面をプッサンは、少なくとも3度描いているが、 本作品はその最初のものとされる。 女性の衣服に施された青、黄、ピンク、緑の明るい色彩の共鳴は「救出」という喜ばしい情景を支えつつ、向こう岸 の数人の人物像、さらには橋のアーチの向こうにわずかに見える彼方の人物へと段階的に視線を誘う。本作品は、人物のポーズと配置、そして色彩を綿密に練り 上げるプッサンの力量を優れて伝える代表作の一つであり、1693年、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを手がけた造園家ル・ノートルからルイ14世に贈られた ものである。 色彩にそんな意図があったんですね。絵ってやっぱり深いです。これは何の背景知識もなく困った作品の一つでした。モーセの生い立ちを初めて知りました。自分の無知さに合掌。新旧聖書一回は読んでおきたいですね。断片的にしか知らない。No.2 フランス・プルビュス(子)[1569-1622] マリー・ド・メディシスの肖像 1610年

解説省略。マリー・ド・メディシスについては
こちら。
これはすごかった!もうなんていうか細かい。画像ではわからないけど本物は布やダイヤや大理石の質感がやばかったです。百合の模様も一つ一つ丁寧に描かれていて、脱帽です。とてもインパクトの強い作品でした。これは本物を見る価値を改めて実感させられた一枚です。
No.7 レンブラント・ファン・レイン[1606-69] 縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像 1633年
レンブラントは、その画業の間中、自分自身を描き続けた。これらの自画像は、西洋絵画最大の巨匠のひとりが制作したものであり、黄金時代の作品の中でも特 異な一群をなしている。レンブラントは、人生の各年代で自画像を描いたが、これらの表現の多様さは、別々の場面設定によるところが大きい。そこでは、様々 な衣装が常に重要な役割を果たしている。《縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像》では、ルネサンスの肖像画のように、「昔風に」帽子をかぶり、手袋を はめ、歴史的衣装に身を包んだレンブラントが示されるが、まさにそれにより、画家が過去の大画家の系譜に連なる者であることをはっきりと示している。同様 に、贅沢に着飾った姿を示す衣装は、レンブラントにとって、貴族社会と一体化し、ヴァン・ダイクのような同時代の巨匠に近づく手段でもあった。
実際、オランダ連邦共和国では、有産階級が貴族の流儀を取り入れ、著名な画家の肖像画が大きな位置を占めるコレクションへと好みを向けていった。オランダの エリートたちのこの貴族化は、他のヨーロッパ諸国(特にフランス)の絶対王政によって発展した優雅さや権力のモデルに魅せられたものであり、レンブラント のこの自画像において、きわめて明瞭に示されている。
はじめまして、レンブラントさん。私あなたのファンなんです。お目にかかれて光栄です。その金の鎖素敵ですね。絵じゃないかと思いました。騙さないでください。
レンブラント・ファン・レインについて補足
17世紀オランダ最大の画家はアムステルダムで活躍したレンブラントだが、彼は偉大な例外でもあり、静物画を除くあらゆる画種を手掛けている上、ルネサンス以来の正統的分野である構想画(宗教画・神話画・歴史画等)に最も力を入れていた。しかし市民社会が彼に求めたのは肖像画である。[夜警]も市民自警団の集団肖像画として注文されたものだが、彼は当時のオランダで公的性格の大画面を制作いうるほとんど唯一のこの機会を利用して、肖像画を構想画に変貌させた。集団肖像画では、人物は整然と列をなして描かれるのが普通だが、この絵の人物はこれから隊列を組んで画中空間から歩み出ようとするかのように演出されている。強い明暗対比が劇的雰囲気をさらに高める。当時のオランダでは、礼拝に関わる宗教画が否定されたとはいえ、キリスト教画はいわば「見る聖書」として存続していた。特にレンブラントは、使徒ペテロが人間的弱さを露呈する場面を描いた[ペテロの否認]のように、聖書の主題を人間の内的ドラマとして表すことにより、新しい宗教画を生み出している。光と影の表現力を駆使することも含めて、ここにはカラヴァッジオの間接的影響が認められるが、微妙な表情の的確な把握は独自のものである。晩年のレンブラントは、絵具を厚く盛り上げて、それ自体輝かしい魅力ある絵肌を作り出すなど、油彩技法の面でもきわめて斬新であった。
「増補新装[カラー版] 西洋美術史 より」


No.12 ヨハネス・フェルメール[1632-75] レースを編む女 1669-70年頃
静かな室内で手紙を読み、あるいは、物思いにふける女性を描いた一連のフェルメールの作品は、17世紀オランダ風俗画のもっとも魅力的な部分を形成してい る。19世紀にパリで再評価されたこの画家とフランスとの強い絆を象徴するような作品が、この《レースを編む女》である。1870年にはすでにルーヴル美 術館の所蔵となっており、最もよく知られたフェルメール作品のひとつである。これはフェルメールの作品の中でも小さなもので、前かがみになった娘の上半身 が、少し下から見上げられるように描かれている。彼女はレース編みに熱中しているが、クローズアップで描かれているため、絵を見る者もまた彼女とともにこ の細かい作業に加担しているような不思議な感覚に襲われる。画面左手前の赤と白の糸はまるで、カンヴァスの上にたらされた絵具そのものとして描かれてお り、どこか官能性を呼び覚ますような表現となっている。彼女の右手下に置かれた小さな書物はおそらく聖書と思われ、それは、ここに描かれるレース編みが女 性の勤勉さを象徴するテーマであったことを思い出させるが、そのような主題性から開放され、光に満たされ、光に祝福されたような娘の凝縮された存在感が見 る者を圧倒する。
レースを編む女。知らない人はおそらくいないでしょう。今回のルーブル美術館展の大目玉です。街中で目にする広告でもこの絵を使用していますね。日本初上陸らしいです。Welcome to Japan. 館内でもやはり予想通り、この絵の前は人がわんさかで近寄るのが一苦労でした。意気込んで人と人との間をすり抜けながら最前列をキープしてじーっくり見てきました。驚嘆。小さい画面の中に描かれたすべてが生きていました。手先からレースの糸ひとつひとつまで丁寧で鮮明で、フェルメールは本当に天才です。
スペインのサルバドール・ダリもこんな言葉を残しています。
「偉大な絵は、芸術家が暗示するだけで、目に見えない大きな力を感じとることができる。フェルメールの『レースを編む女』に私はそれを発見した。この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている。」
ヨハネス・フェルメールについて補足
17世紀後半に活動したフェルメールの風俗画では、上品な家庭の静かな室内に一人または少数の人物<主に女性>が表わされている。手紙を読んだり壺の牛乳を鉢に注いだりといった日常的行為に携わるこれらの人物は、画面を浸す落ち着いた光の中で、あたかも静物のように捉えられ、日常生活の瑣末性を超えた存在となっている。光の反射を効果的に表すために、彼は白い点を並べてハイライトとする独自の技法を工夫した。フェルメールの現存作品は約35点とわずかだが、風俗画だけでなく宗教画・神話画・寓意画・風景画も一、二点ずつ残しており、守備範囲はレンブラントに次いで広い。寡作のためか死後まもなく忘れられたが、19世紀後半、その「近代性」が注目を集め、17世紀最大の画家のうちに数えられるようになった。
「増補新装[カラー版] 西洋美術史 より」

No.13 ピエール・デュピュイ[1610-82] 葡萄の籠 1650年頃
画像なし。解説省略。
これ本当にすごい。葡萄本物だよ。食べれる。絵に水滴ついてる…!学芸員さん…!大変だよ…!とか思ったほどリアルです。水滴どうやって書いたんだろ。
No.15 ル・ナン兄弟 農民の家族

右手から差し込む強い光に照らし出され、テーブルを囲む6人の農民の家族。左手奥では、暖炉の揺らめく光に淡く照らされた3人の子供が控えている。食事の 後とも思えるが、楽しげな団欒の活気を伝えるものはない。人物同士の視線は絡まることが無く、大人も子供も、穏やかにそれぞれの思いの中にある。農村生活 の様々な現実に向き合いながら、慎ましくもわが身を持する厳粛な精神性が響き渡っている。
アントワーヌ、ルイ、マチューの3人からなるル・ナン兄 弟は、フランス東北部のランに生まれ、1629年にはパリで親方として登録され、多くの肖像画や教会の祭壇画の注文を受けた。1648年、年初に創設され た王立絵画彫刻アカデミーにも加わるが、5月にアントワーヌとルイが急死したこともあり、以後18世紀を通じて忘れ去られ、作品の多くも失われた。19世 紀半ばに、同郷の文筆家シャンフルーリによって再評価されて以降、17世紀フランスにおける現実主義の画家として高く評価されることとなった。
本作品は、浅い奥行きと限定された色相と彩度の内に、光の効果と事物の質感を描き分けつつ、確固たる人物の存在感を描き出す、画家の力量と特質を存分に感じさせる代表作と言えるだろう。
これねー、なんともいえない存在感。家族一人一人が浮き出てるんです。上手く言えないけど。上記にもある通り、本当に「確固たる人物の存在感」です。
No.16 アニエッロ・ファルコーネ[1607-56?] トルコ軍と騎兵隊の戦い 1631年 画像なし。
これも本当に画像ないのが悔しい。とにかく迫力が…。すごかった。戦争の残酷さというか、そんな常套句では表しきれないですが、人々の表情や戦場の情景が見る者になにかを訴えかけているようでした。非常に考えさせられる作品でした。
Ⅱ.旅行と「科学革命」No.25 ペーテル・パウル・ルーベンス[1577-1640] トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス 1602-04年頃 画像なし。
アイネイアス(アエネイアス)はギリシャ、ローマ神話の半神的存在。トロイア戦争に参戦しヘクトールに次ぐ英雄とされています。木馬の計略によって トロイアが陥落した際、アイネイアスは父アンキーセースを背負い、幼い子アスカニウスの手を引いて燃える都から脱出しました。これを題材としたのがこの絵です。アイネイアスたちの後方で燃えるトロイアが描かれています。
有名なルーベンスさんきました。なぜ画像ない。トロイアを題材にしたものだとこの他に、「パリスの審判」がありますね。こちらの方が有名ですが、個人的には「トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス」の方が好きですね。ルーベンスはフランダースの犬効果で日本人に深く浸透していると思います。ちなみにフランダースの犬で登場する絵は「キリスト昇架」、「キリスト降架」、「聖母被昇天」です。
ルーベンスについて補足
17世紀初頭、十年近くイタリアに滞在し、古代と盛期ルネサンスの美術に学ぶ傍ら、活躍中のカルラッチやカラヴァッジオの影響を受け、彼らと共に新様式の確立に努めた。前世紀初頭以来、ネーデルラントの画家たちは盛期ルネサンス美術の理想主義的で壮大な様式に倣うべくイタリアに赴いたが、概してイタリア美術の型の模倣に留まっていた。しかし、ルーベンスはイタリア美術の本質を体得した上で、これをネーデルラントの鋭い現実感と結びつけ、壮麗で活力に満ちた独自の様式を完成させる。帰国直後の[キリスト昇架]では、ヘレニズム彫刻やミケランジェロを想起させる力強い人体表現とカラヴァッジオ風の明暗法、さらに十字架を立てる行為を進行形で捉えた着想が、大画面に劇的迫力を漲らせている。ルーベンスは当時のフランドルにおけるカトリック復興の気運に応えて多数の祭壇画を描く一方、世俗美術の分野では、各国の宮廷のために大規模な建築装飾画を制作して、国際的に活躍した。注文者であるフランス王母の半生を寓意的・神話的存在を交えて表した連作「マリ・ド・メディシスの生涯」が代表的作例だが、奔放な構想力、輝かしい色彩、柔らかい筆触を生かした巧みな質感表現は、形式的になりがちなこの種の絵画にも豊かな生気を付与している。ヴェネツィア派の流れを汲む豊麗な神話画も多い。晩年には、前世紀のブリューゲルの伝統を発展させて、身近なフランドルの自然を描き、天候や時間が風景に与える微妙な変化を捉えて、風景画に新局画を開いた。
「増補新装[カラー版] 西洋美術史 より」


No.29 クロード・ロラン[1602頃-80] クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス 1644年頃
クロード・ロランは、フランス北東部のロレーヌ地方出身だが、幼年時代からは、まずローマ、次いでナポリと、イタリアの芸術家社会の中で成長した。ここで の風景画家たちの教えは、クロードの作品に深い影響を与えた。彼は1625年にフランスに戻り、スイスとドイツに滞在したが、1627年に旅を終わらせ、 永遠の都ローマに最終的な居を定めた。この時代、ローマは芸術家たちが腕を競う中心地となっていた。それ故にアンニバーレ・カラッチの風景画に影響された ものの、やがて、クロードは彼固有の様式を展開するようになり、ニコラ・プッサンとともに古典主義的絵画の創造者となった。1644年頃に描かれた、《ク リュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》は、クロードが高貴な題材と結びつけた美しい海港を描いた作品群のうちに含まれる。
この絵画の題材は、ホメロスの『イリアス』第1巻から取られている。この叙事詩によると、若いクリュセイスは、ギリシア人たちに連れ去られ、アガメムノン に戦利品として提供された。アガメムノンは、クリュセイスを彼女の父の元に返すことを拒んだのだった。神アポロンはクリュセイスの父の復讐の祈りにこた え、ギリシア人の野営地にペストを蔓延させた。アガメムノンはついに、クリュセイスの解放に応じた。場面は、生贄に捧げられる予定の牛が上陸している間 に、船の前にいるオデュッセウスが、解放された娘を父親のもとに返すというドラマの大団円を示している。
この絵画では、画家の詩的なビジョンにより、金色に輝く光の効果のもとで、古代の想像上の宮殿と17世紀の船の正確な描写とが結びつけられている。船の描 写は、明らかにヨーロッパの船員が遠くの国々に上陸していることの暗示である。黄金時代の人間は、古代の現実生活の状況には疎かった。クロード・ロラン は、古典主義的で壮大な建築を舞台として、古代ギリシアを当時の壮麗なローマ、地中海に移されたローマのイメージで思い描くことによってこうした欠落を埋 めている。
この絵素敵すぎます。大好きです。建築物を何でこんなに美しく描けるのだ。人物に関してですが、誰が誰だかわからず、オデュッセウスとかいなくね?とか思って、描かれてないっぽいよ、などと適当なこと言ってました。知ったかぶりはよろしくないですね。ごめんなさい。上記参照です。
No.30 ディエゴ・ベラスケスとその工房[1599-1660] 王女マルガリータの肖像 1654年
王女マルガリータの肖像は、王妃マリアーナにより1654年に注文された。この絵画は、作品がヨーロッパの一国から他国へ、あるいは王女が宮廷から宮廷へ と動くなど、黄金時代にあった国家間の移動の中でも、特に印象深い例のひとつである。富の流れは権力の流れと一致している。
この絵画は、ルーヴル宮の室内装飾の一部として、クール・カレの南側一階の王の母の住居にあった。現存するのは幼いスペインの王女を表わしたこの肖像のみだが、王家の肖像のギャラリーを想像する必要があるかもしれない。
王女は、スペイン王フェリペ四世と王妃マリアーナの娘であり、王妃でありルイ14世の母でもあるアンヌ・ドトリッシュの姪である。彼女の肖像画は、戦争に よりフランスとスペインが対立しているにも関わらず描かれた。アンヌ・ドトリッシュはスペイン王家に愛着をもっており、カトリックの2つの強国が団結する ことを望んでいた。彼女の注文は、政治的理由と同じくらい感傷的な理由からなされており、この作品を理解するためには17世紀の専制主義のヨーロッパを支 配していた名門家系の姻戚関係の文脈を想定することが必要である。
ス ペイン王家の子女たちの肖像は、ベラスケスの制作した絵画の中でも最も優れたものに数えられる。その中でも、王女マルガリータは繰り返し描かれた。例えば マルガリータは、プラド美術館に所蔵されている有名な《ラス・メニーナス》の構図の中央を占めている。ルーヴルの肖像画をうつしたマルガリータの肖像画の 大部分は、スペインには残っていない。それらは、ヨーロッパの主要な宮廷に、王女の姿を知らしめるために送られたからである。肖像画は、決して単独では制 作されず、時の外交上の必要性に答えるために、何枚もの複製が描かれた。1666年に、マルガリータは、オーストリア大公にしてドイツ皇帝のレオポルド1 世と結婚したが、合併症を伴う幾度かの妊娠と、当時の医学の貧困さのため、22歳で亡くなることとなった。彼女はハプスブルク一家の墓所である、ウィーン のカプチン会の地下礼拝堂に埋葬されている。
マルガリータ様かわいいですよね。お会いできて良かった。
ディエゴ・ベラスケスについて補足
17世紀は「スペイン絵画の黄金時代」と言われる。この時代を代表するのはマドリードの宮廷に仕えたセビーリャ出身のベラスケスである。初期の風俗画や宗教画にはカラヴァッジオの間接的影響が著しいが、王室コレクションのヴェネツィア絵画との接触、外交使節としてスペインを訪れたルーベンスとの出会い、二度のイタリア滞在などにより、様式と技法を洗練し、大まかな筆触により視覚的印象を的確に捉えるという革新的描法で、宮廷の人々の肖像画や現実的装いの神話画を描いた。[ラス・メニーナス<侍女たち>]は王女マルガリータを中心とした宮廷人の集団肖像画であるが、大きな画布を前にした画家自身と鏡に映る国王夫妻の像を画中に表すことによって、国王夫妻の肖像を制作中のベラスケスのアトリエを王女とお付きだちが訪れたという状況を設定、人物を自然らしく結びつけるとともに、観者をも画中空間に取り込もうとしている。
「増補新装[カラー版] 西洋美術史 より」
No.43 ペーテル・パウル・ルーベンス[1577-1640] ユノに欺かれるイクシオン 1615年頃
本作品は17世紀フランドル絵画を代表するルーベンスが長いイタリア滞在から故郷アントワープに凱旋帰国し、神話主題の大作を次々に発表していた1615 年頃のものと推定されている。重々しい堂々たる様式、華麗な色彩、量感に満ちた人体表現、これらのすべてはこの時期のルーベンスの特徴に合致している。燃 える車輪に縛られ、イクシオンが劫罰に処される場面はしばしば描かれたが、本作品が採りあげるような、ユノに騙されるイクシオンの主題は珍しい。イクシオ ンはユピテルの妻ユノを誘惑するが、ユピテルが雲でつくったユノの似姿に騙される。画面右上方に描かれるのがユピテルで、画面左でイクシオンと抱き合って いるのは偽のユノである。画面中央右に立つ本物のユノはイクシオンに背を向け、夫の元に帰ろうとしている。ここではイクシオンの物語を借りながら、人間の 欲望や欺瞞が寓意的に表現されているのだろう。互いの左足を交差させるように中央に大きく描かれたふたつの裸身、すなわち、本物と偽者のユノのふたつの裸 身もまた見る者を欺こうとしているかのようである。イタリアとの結びつきが強調されることの多いルーベンスであるが、特に、中央に立つユノの裸身は透明な 薄い絵具が重ねられ、この画家がフランドル絵画の伝統の中で生きていたことをあらためて思い起こさせるだろう。
またまたルーベンス。ルーベンスはやっぱりいいですね。この筆触というかタッチ、好きです。ここでも私の足りない頭に困らせられました。神話疎すぎます。勉強しないと。
No.46 ヨアヒム・ウテワール[1566-1638] アンドロメダを救うペルセウス 1611年
画面左に、海の怪物の生贄にされたアンドロメダが大きく描かれている。彼女は薄布をまとうだけである。彼女の視線の先には宙を舞う騎士のような人物がい る。これは彼女を救いにきた英雄ペルセウスであり、ペガサスにまたがり、その下に見える怪物と戦っている。ティツィアーノに同主題の著名な作品(ロンド ン、ウォーレス・コレクション)があり、多くの画家がこの16世紀ヴェネツィア派の巨匠の作品に想を得ながら同じ主題の作品を描いた。他方、本作品の作者 であるウテワールなどのオランダの画家たちにとって、この主題は特別な意味をもってもいた。オランダは当時スペインとの独立戦争の最中であり、オランダの 人々は囚われたアンドロメダと自分たちとを同化し、ペルセウスのような救世主の登場を希求していたのである。アンドロメダの足下には多数の貝殻に混じって 幾つかの骸骨などが見えるが、これはスペインとの戦禍を暗示しているのだろう。ウテワールはオランダ・マニエリスムを代表する画家で、装飾的彩色、人工的 空間構成、捩れた身体表現などを駆使した独自の作風で、黄金時代初期の絵画の展開に重要な役割をはたした。
アンドロメダはエチオピア人らしいですね。ギリシャ人だったペルセウスと結婚して、世界初の黒人白人婚と言われているとか。星座だ!とか思ったけど、神話ありきの星座なんですね。勉強勉強。。
Ⅲ.「聖人の世紀」、古代の継承者?No.55 ジョルジュ・ラ・トゥール[1593-1652] 大工ヨセフ 1642年頃
光源は幼子キリストが持つ蝋燭ただ一つ。輝く炎は、若々しいキリストの顔を清冽に照らし出しながら、幼子の左手を透かして見るものに届けられる。一方、大 工仕事に精を出す養父ヨセフの手元をほのかに照らしつつ、額には年齢と労苦を刻み込んだ皺を浮かび上がらせる。ほぞ穴が穿たれた角材は十字架を連想させ、 幼子の将来がすでに暗示されており、キリストに向けられた、慈愛に満ちながら、どこか不安げなヨセフの視線も、運命の予兆に緊迫感を加えている。画家が活 動した17世紀前半のロレーヌ地方では、聖ヨセフへの信仰は、殊に活発となっていたが、そのための図像への需要が、この類希な才能と出会った時、見るもの の視線を括り付けて止まない名作をもたらすことになったのである。
現在では17世紀フランスを代表する画家の一人に数えられるジョルジュ・ド・ ラ・トゥールが見出され、再評価されたのは20世紀になってからのことである。本作品も、1938年に発見され、イギリス人パーシー・ムーア・ターナーの 所蔵となっていた。彼によってルーヴル美術館に寄贈されたのは1948年、彼の友人で作品発見の翌年に亡くなった、ルーヴル美術館絵画部門の学芸員ポー ル・ジャモに対する追悼記念として贈られたのである。
この絵中学のときからの憧れなんです。蝋燭のあかりの感じが大好きで。光の表し方が秀逸です。学校で模写をする課題の作品群の一つで、これ書きたい!と思ったのですが、自分にこの明暗感や透明感は描けないと断念しました。いつか時間があれば再チャレンジしてみたいですね。
ジョルジュ・ラ・トゥールについての補足
17世紀初頭には、カラヴァッジオの芸術はフランス美術にも強い影響を与えた。ジョルジュ・ラ・トゥールの[大工ヨセフ]は、幼いイエスと養父ヨセフを17世紀の庶民の姿で表しながら、深い闇に輝く光によって聖なる者の現前を暗示している。カラヴァッジオの作品では光源は常に画面の外にあったのに対して、ラ・トゥールは画中に蝋燭などの人工光を導入し、かえって闇の濃さを観者にいっそう強く意識させる。また、人体は丸みを帯びた単純な形態に還元される傾向があり、明暗の対比がその量感を強調する。
No.59 バルトロメ・エステバン・ムリーッリョ[1617-82] 6人の人物の前に現れる無原罪の聖母 1662-65年
神の子イエス・キリストを宿した聖母マリア自身も、穢れなきまま母アンナから生まれたとする「無原罪の御宿り」の教義は、17世紀スペイン、殊に画家ム リーリョが活躍したセヴィリアでも熱烈な信仰を集め、多くの作例が生み出された。ローマ・カトリックが正式にこの教義を認めたのは、1854年になってか らだが、1661年、教皇アレクサンデル7世はこれを容認する勅書を出した。本作品は、このことを受けて1662年から改築が始まったセヴィリアのサン タ・マリア・ラ・ブランカ教会に対して、画家の友人でもあったドミンゴ・ベラスケス・ソリアーノが寄進した4点中の1点である。画面左端の人物がソリアー ノと思われる。縦長の構図を持つムリーリョの他の同主題の作品とは異なり、横長の画面の中央に聖母が捉えられているが、この画面形状は掲げられていた教会 上部の壁面形状によるものである。
「神は最初から彼女を愛しておられた。」と記された布を拡げる天使の愛らしい姿。手を合わせ、左下に顔を向けな がら眼を伏せて思いに沈む聖母の清純な姿は、セヴィリアに留まらず17世紀のスペインで広く人気を博したムリーリョの甘美な聖母像の魅力を存分に感じるこ とができるだろう。
無原罪…SEXが汚らわしいものであるという考えは現在の世の中にも見受けられますよね。人間の生まれもった罪ですか。イエス様自身も無原罪の母マリアから生まれたと言われていますが、とても人間的だったようですよね。愛する女性もいたようですし。この辺りの話は現在でも論争が起きているそうですね。でも、この絵の聖母は本当にとても高貴に描かれています。純白そのものです。美しいです。
以上、解説&感想でした。
自分の趣向でいくつかピックアップしただけなので、
他の作品については触れていませんがご了承ください。
今回勉強したことを生かし、また足を運びたいと思います。
REFERENCE
ルーブル美術館展公式ホームページ
http://www.ntv.co.jp/louvre/#/topWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8増補新装[カラー版] 西洋美術史 監修 高階秀爾 美術出版社
ルーブル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画―2009年2月28日-6月14日 国立西洋美術館主催:国立西洋美術館、ルーブル美術館、日本テレビ放送網、読売新聞東京本社後援:文化庁、フランス大使館、日本テレビ文化事業団特別協賛:木下工務店協賛:大日本印刷、日本興亜損害保険、EPSON協力:日本航空、日本通運、JR東日本、BS日テレ、シーエス日本、ラジオ日本、J-WAVE、文化放送、西洋美術振興財団企画協力:NTVヨーロッパ